17、元夫からの虚偽の数々

今から思えば、マンションのローンは管理費を入れても5万ほどでした。離婚体験記
生活が苦しいボーナスが残らないというのは元夫の虚偽だったと思います。
また後から元夫の両親から聞きますがマンションに暮らしていた頃、元夫に何度も何度も金銭的な援助をしていたらしいのです。
もちろん私は全く知りませんでした。
元夫は本当に金銭的に苦しいのだと信じていました。
元夫に女性がいた頃、毎日自殺を考えていた私に、電話でいつも励ましてくれていたお坊さんの薦めで霊法会という宗教に入会していました
そこで毎日、お経を読むこと、神社にお参りすることカウンセリングを受けること、薬というものに助けられながら、少しづつ気力を取り戻しました。

18、子供の大病の発症

離婚体験記 しかしながら平成**年長男が急に気を失うとういうキアリー奇形という先天性の病気であることがわかります。
県立のこども病院を紹介されますが、半身不随になる危険性、突然に気を失った時に頭の打ち所が悪かったり誰もいない場所で症状がでたり、意識不明の症状が長くなってしまったら命も危ないという大変な病気でした。
それでも私は働かなくてはなりませんでした。
携帯を握り締め、心臓がいつどこから息子が倒れたと連絡があるのではないかという恐怖でいっぱい
でした。

しかしながら元夫は私に「働かなくても良い、翔太のそばにいてやればよい」とは一言も言ってはくれませんでした。
また息子の病気は自分の両親に長い間隠していたようでした。
先天性の病気、いわゆる、かたわとされるから
です。
一度、元夫の父親が同じ地域に住むてんかんの子どもさんを持つ、家族を村から追い出したことがあるそうです。
理由はそのてんかんの子どもが何をするかわからないからだそうです。。。
あまりにも無知でむごいことだと寒気がしました。
その頃、入会していた先祖供養の霊法会で私は息子の病気が治りますようにと朝参りに始まり、毎日毎日、観音経をあげ必死で祈っていました。
奇跡的に息子は平成**年、完治したのです。それを見て
元夫も平成**年の1年程は一緒に霊法会に入会し、夫婦をやり直そうとしてくれました。

19、兵庫県**市への引越し(元夫の元夫の父への服従)

平成**年*月元夫のお父さんの援助で今の**市の家に転居します。
転居する前、
私:「やり直すために**市に行きます。
しかし、義父などと一緒に私をいじめたりまた、何かあったときには私はもう我慢しませんから」と元夫に伝えました。
元夫も、やり直すために引っ越すといいましたが、この家を買ってもらったことで義父には服従するといいました。
その時には、その言葉の重みにまだ気付いていませんでした。
引越しも自分たちですると元夫から一方的に言われ、仕事もしていた私は毎日ダンボール箱に今、必要が無いものからまとめること、休みの日にはこの家の掃除に来ることで、大変でした。
ご近所の方からは、私だったらそんな引越しはできない、女にしか分からない順序みたいな離婚体験記ものがあるでしょう。。。と毎朝、どんどん荷物を自分の車に積んで運び出す元夫の姿を見てご近所の方によく言われました。
毎朝運び出す、荷物をまとめてあるダンボールの数が少ないと機嫌が悪いのです。。
本当に全て自分たちで引越しをしました。
引越し当日、元夫の母から義父に謝れと言われました。
何を謝るのかわからなかったのですが私は、元夫の両親の近くに住むことになるのだからと、わからないけれど私が謝れば上手くいくならと子どもたちの為に、
義父に「お父さん今まですみませんでした。こんなに立派な家をありがとうございました」と言いました。
引越しをして数日後、我が家で義父母、義理兄家族義理妹家族を迎えて手料理をふるまい感謝の気持ちを表しました
またいつでも義父が泊まれるようにと和室には義父用の客布団を用意していました。
**市に引越しをするまでは元夫の実家に行くのは正月、お盆、GWなどの連休と一ヶ月半に一度の割合でした。
元夫の家族に違和感を感じていても何とか好かれるよう、気に入られるよう、精一杯の努力をしてきました。
何かをしてほしいといわれたことをNOと拒否したことは一度もありません。

20、元夫の父への元夫の絶対的服従(いじめの始まり。)

**市に移ってからも**市の***********に勤務していた私、土地勘もわからないし元夫は休日も、義父から携帯に電話があるとすぐに手伝いに行ってしまい、夜ご飯も食べてくるような日が続きました。
知り合いもなく主人は完全に義父のいうなりの様子、おまけに元夫と例の元夫女が待ち合わせに使っていたパチンコ店はしょっちゅう前を通る道にあり、その頃二人が勤務していた支店もすぐ近くにあり、前を通るたびにPTSDが出てきた私は、また不安定になりがちになりました。
家を飛び出してしまうのですが、外から元夫に電話をして、もう昔のようなことが起こらないのか、私は家に帰ってもよいのか確認してしまうことが2、3度ありました。
これが元夫が私のわがままと映ったのではないかと思います
そして、また元夫のいじめが始まり始めたのです
こんな家まで与えてやってるのに何の文句があるんやと言われました

21、元夫からの本格的ないじめの始まり。

離婚体験記 引越しをして数ヵ月後、法事があるらしかったのです。
しかし、元夫は法事の前日の夜も普通に会話をしていたにも関わらず、翌日の法事のことは一切何も話してくれませんでした。
そして、当日の朝、会社に出勤するため車を出すためにガレージを開けながら元夫が言うのです。
「あ、今日、法事があるらしいわ。行かれへんやろ」と。。。。

私は**市に来てから、なんとか元夫の家族に認められるようと、いつか認められてから韓国人であることも話せる日がくると期待していただけに、また元夫のこういったやり方が、始まったことにショックで言葉が出ませんでした。

元夫が出勤してから、すぐ義母に電話をすると

私:「今日法事だったんですか?」
義母:「そうや。前から敏郎には言うてたんやけど」
私:「今朝初めて聞いて、仕事も急に休めるかどうかわからないのですが、休めなくても仕事が終わり次第そちらに行きます」
と伝えました。

その日は半分の時間のシフト勤務に急遽切り替えてもらい、義父宅に尋ねたとき、玄関には鍵がかかり、そばの畑にいた義父に「なんぞや、もうおわっとりますわ。」と冷たく言われ家にあげてももらえず帰りました。

なぜ、一言でも「俺が今朝、急に言うたもんやから。。。」などかばうこともしてくれないどころか、私を窮地に追い込むのか。
本当に私をこの身内も知り合いもいない土地で守る意思が少しでもあればそんなことはしないはず。。

私のPTSDはますますひどくなっていきました。離婚体験記
元夫に対して、それでも子どもたちのために、昔の繰り返しは裂けたいと、
相談、話し合いをしようと何度かしましたがまともにとりあわず、最後には
元夫: 「お前は桂家をつぶすきか」と言いながら私の顔をみて 冷笑するので怖くなり
私:「何を考えているの?」
元夫:「ふん。何を考えてるか誰がいうたるか!」
とまた何かがとりついているような話し方をするのです。
もぅ話し合うのは無理だ。
自分がだめになる、この時、決意しました。



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