11、元夫の浮気の始まり(家族への冷たい対応)

平成*年*月佳子が*歳の誕生日近くの週末、**の水族館に出かけました。離婚体験記
佳子は大喜びでした。久しぶりの家族の外出でした。元夫の様子が心ここにあらずというか帰りの車中でも一言も話さないのでおかしいな、と感じていましたが後でわかりますが、この時にはすでに同じ勤務先の**の**支店の後輩の女性と交際が始まっていたのです。

翌月の*月のある夜、子どもたちも寝支度が済み、私たち夫婦もパジャマで電気も消した後、元夫の携帯音がしたかと思うと、「明日、**にいくやろ、ガソリン入れてくるわ」というのです。
既にパジャマに着替えているのに。

次の日、元夫は仕事で一緒に行けないが私一人で**市の実家へ子ども達をつれていく予定だったのです。
おかしいな?と思いましたが、その時、車からついでにあるものを持ってあがってきてほしいことがあり、元夫が出かけた後、元夫の携帯に電話をしました。
すると30分以上電話中なのです。元夫はガソリンを入れに行ったのではなく誰かに電話をしに行ったのです。
友人もそんなに多くない元夫、自宅で電話できない相手、、、女性とすぐにわかりました。
その時、足が振るえ今まで自分を襲ったことの無いショックで立っていることもできなかったことが今も忘れられません。
戻ってきた元夫に恐ろしくて何も聞けませんでした。
次の朝、元夫のカバンを見てみると、避妊具が入っていました。決定的です。
そしてその避妊具は数日に、何個かずつ減っていくのです。
しばらくして元夫は、私の作ったもの飲み物も食事も一切食べなくなりました。
そして別れてほしいというのです。「子どもが20歳になるまでは別れません」というと
「え。。。そんなになるまで」とだけ言い残しました。

12、生活費の大幅な減少

帰宅は深夜になり、パンチパーマをかけ目は炎で燃え盛り、一言も話しません。
そして生活費を6万しか渡さなくなったのです。
その頃、姉の知人のお寺のお坊さんに、このことを相談すると「子どもをとられてしまうかもしれない、証拠を押さえておきなさい」と言われました。
子どもをとられる、見ず知らずの女性に、、、私は冷静さを失っていました。

離婚体験記*歳になったばかりの佳子、生後*ヶ月の翔太、私の宝です。

そしてまた、なんとかしなくてはいけないという一心で元夫に土下座して謝りました。
元夫の両親への不満や元夫自身が給料が安く仕事がきついことにストレスを感じていたことを 幼い二人の子どもの面倒で手一杯だった私は、いたらなかったのだろうと思い込ませて。
しかし元夫は、土下座して謝る私に「お前のだんなは死んだと思え」と言い放ちました。

電話帳で調べた興信所に浮気の現場を押さえるには、いくらくらいかかるのか聞くと、40万といいます。
子どもができてからしばらくは働いていなかった私に貯金は殆どありませんし、元夫が一切の家のお金を握っていましたから
あるものは結婚前に母からもらった貴金属、袖さえと通したことのないあつらえの着物数点、結納返しに元夫に送ったロレックスの腕時計とおそろいのロレックス
しかしながらこんなに、幼い子ども達を連れて質屋にいくことなどできません。
でも子ども達をとられるかもしれない。。。。その思いだけで、家まできてくれるという質屋に電話をしてしまいます。
離婚体験記その質屋は土足でずかずかと入り込み、充分にあるはずなのに赤ん坊を抱く私にもう少しあれば40万にになるといいます
世間知らずの私、子どもを見ず知らずの女性にとられるかもしれないという恐怖心、汚い足でづけづけと入り込み、怖さも感じるこの質屋の男を速くでて行ってほしい一新で
私は一番大切にしていたシャネルのバッグを最後に差し出しました。
苦笑いを浮かべながらその質屋の男は出て行きました。
充分に100万以上はあったはずなのに40万だけおいて出て行きました。
どうしてこんな思いをしなければならないのか、地獄でした。
それから数年、町を歩いていても雑誌で見かけてもシャネルのバッグを見るとトラウマで胸が張り裂けそうでした。

13、探偵から元夫の浮気に関する結果報告

離婚体験記興信所からの結果は元夫とは思えない内容でした。
勤務先の**の**支店近くにあるパチンコ店***の駐車場で各々の車で駐車してから女性が元夫の車に乗り込み別場所に移動するというものでした。
女性は佐竹陽子という名前だったと記憶しています。
2日尾行したらしいのですが、1日目は、****の****のミスタードナツと***というやきにく屋で食事をしてその後、山中を猛スピードで走り逃した 2日目ホテルに同じように待ち合わせをして入って行ったそうです。

その頃、6万円しか生活費をもらえない、 食べたいものを満足に買うこともできないのに母乳を出していた私は偶然でもウソでもなく毎日のようにドーナツが食べたい、焼肉が食べたいと思っていました。

それを元夫は他の女性と味わっていた、、、後からわかったこととはいえ、精神的に立ち直るには相当な時間が必要でした。いえ、まだ立ち直っていないかもしれません。
生活費が足りないというと「ある分でやっていけ」とどなるだけ
*~*ヶ月の翔太、可愛い盛りでしたが翔太は**歳になるまで元夫は一度も抱きませんでした。
これは今も子どもたちには言えません。
佳子が小学生の頃、翔太が幼稚園までの頃、一番可愛く、何度でも見たいはずの写真を今もみることがなかなかできないのです。
当時の辛さが蘇り、子どもたちの笑顔が苦しくて。
当時一度だけ元夫の母に相談しました。
どうも女性がいるようだと。

相談した日から、義母からは「最近の様子はどう?」とか「どうしている?」などの一度も連絡もなくなりました。
音信不通になりこのことから逃げられてしまったのです。
女性のことをなぜ、証拠を突きつけて言わなかったか、、、子どもたちが幼すぎたこと、相手の女性も何もわからないような幼い顔で 元夫が遅くても家には帰る様子や私と付き合っていた頃の元夫を考えると本気ではないと勘でわかったからです。
私が変わればやり直せる、家庭が戻ると私自身の責任にしてしまったのです。離婚体験記

そして、その頃加入した宗教で、過去に犯した自分の罪のせいでの結果だからご主人にさんげしなさいと教えられ、とにかくすきなようにご主人のやりたいようにとことんやらせてみれば、必ず家庭に戻ってくると言われましたので信じていました。
私の実家はその頃バブルもはじけ、経営破たんに追い込まれていたため母親は体調を崩していました。
あのとしちゃんがそんなことをするわけがないと、心配をかけることもできず、また私と付き合っていた頃の元夫を知っている人はまさか、 そんなことをできる人ではないと、相談してもショックの方が大きく、逆に相談することでその人を困らせていることに気付き、一人毎日観音経を泣きながら何度も何度もあげる毎日が続きました。

 

14、私への過酷な仕打ち

離婚体験記私名義の口座も解約して遊びに使っていた様子でした
私の入れたお茶やコーヒーさえも手をつけることもせず、もちろん食事も一切しません。
一度、洗い物をしている私にコーヒーを台所でぶちまかれたことがあります。
*才の佳子と*歳にならない翔太をたった一人で6万の生活費で、育てることの大変さ。
買い物一つも子どもたちが幼すぎるために、至難の業でした。
買い物カートに翔太を乗せ佳子の手を引きながら、、、思い出しても涙が出ます。
元夫は休日もまず家にはいません。
休日などダイエーなど買い物に行くとフアミリーで買い物に来ていてカートをご主人がひいていてくれている姿などを見かけると情けなくて情けなくて、そんな時に翔太が一度ふと目を話した隙に迷子になり、どこを探してもいませんしまだ話もできません、誘拐されたのではないかと半狂乱寸前になりかけたこともありました。
元夫は深夜帰ってくると、廊下の壁をバンバン殴りながら歩くのです。離婚体験記
私は怖くて怖くて布団を頭からかぶり泣きながら声を殺して朝になって元夫が出て行くまでを耐え忍んでいました。
恥ずかしいことですが元夫は、ゴム製の避妊具を使うと陰部が荒れるという症状を持っていました。
度重ねて使用してか、堂々と自宅の洗面所に陰部用のかゆみ止めの薬を置き、「くそー!かゆいかゆい」とわめいているのです
地獄でした
10円でも安いところを、子どもの手を引き遠いところまで買い物に行くことも当たり前
それでも子どもたちと関わることが、私の全てでしたから、濃密な育児ができたと思っています。
子どもたちに辛さ悲しさをあたることは全くありませんでした。元夫らの存在が全てだったからです。
私が変われば元夫も変わってくれるという、後で知る典型的なDV被害者の感情でいっぱいだったのだと思います。
一言も私と口をきいてくれない、私の作ったものは一切手をつけない、長男の翔太には触れようともしない状態が1年半続きました。
その頃の私は幾度となく、マンションの屋上から子どもたち二人を抱えて飛び降り自殺することを考えたか分かりません。

15、元夫への私からの訴え。

なんとかしなくてはと考え、思い切って、探偵事務所から送られてきていた、元夫と女との一緒の写真を匿名で郵便で送ってきたとうそをついて元夫に見せたところ元夫は、激しく動揺し、その場でその写真を破り捨てました。
そして私は思い切って言いました。
「彼女が妊娠したらどうするの」と。
無言の元夫でしたが、それから態度が変わってきました、私の作った食事も食べだし早く帰宅するようになりました。それと同時に自宅に無言電話が一日に何度もかかってくるようになり、元夫女も苦しんでいるんだな、と本当に本気ではなかった無責任な元夫の同じ被害者として申し訳ない気持ちになりました。

16、私の神経内科への通院

元夫は少しずつ家庭に戻ってはきましたが、私の元夫への不信感恐怖感はぬぐえず、精神離婚体験記的に不安定になり平成*:*年*月**市の***にある***というカウンセリングルームに通うことになります。
それと同時に元夫が近くにいるだけでパニック症状がしばしばおこるので***神経内科という病院を紹介していただき、安定剤を飲み始めます。
通院は平成**年から**年まで約8年間続きます。
カウンセリングルームに通うきっかけにもなった理由は
女性は切れた様子でしたが、精神的な元夫からのいじめが再び始まったことでした。

生活費がその当時は8万になっていましたが、結婚してから一度も元夫から給料額を教えてもらったこともなく、毎月赤字であっても元夫に怖くて言い出せない(一度、今月は足りないからと相談した時に、「ある分でやらなしかたないやろ」)と怒られ、どうしても生活費が足りなくても怖くて言い出せないのです。
その上に、「このマンションを買ったのは誰のせいやと思ってんねん。」という言葉、
車に少しキズをつけたことを車に乗った時に延々となじり続けるので、どうしてそんなに何度も言っていじめるの?というと「いじめとるんちゃうわ、いたぶっとるんじゃ」という言葉が決定的なPTSDとなり
元夫がいるだけで座れない、食事ができない、同じ車に乗っているとパニック症状がでる、リストカットを始めてしまうなどの症状が私に出てきたからです。
不安で仕方がなく家を飛び出したこと、元夫に昔の元夫に戻ったのか。
もう私を苦しめないのか何度も泣いて確かめてしまうなどの症状が続いたからです。
一度だけ、元夫に元夫の給与が振り込まれている、公共料金などが引き落とされているはずの通帳をみせてほしいとお願いすると、「なんで見せなあかんねん」と言われました。
スーパーなどに比べると割高なコンビニなどでタバコやビールや牛乳などを買う元夫をみて一度でいいから私に家計のやりくりをさせてほしいと頼んだことがあり、2ヶ月だけ通帳を渡してくれました。でも、毎月引き落されている項目は略語で書かれている内容が多く元夫から、説明をしてもらわないとわからないのです。この項目は毎月引き落されるものなのか、その月だけのものなのか。今月はどんな支払いがあるの予定なのか。
それを元夫に教えてほしいと言うと「見たら分かるやろ!」とどなられました。
そして2ヶ月目、元夫は悲鳴のように「頼むから通帳返してくれ!」といいました。説明してもらえず、ただ通帳だけを渡された私は、その月、何かが残高不足で引き落とされなかったと言うのです。そして、このことは今でも、家計のやりくりのできない女やと義父母に言い、義父母はそう思っています。
二度と自分の家庭の家計の通帳をみせてほしいとは言わなくなりました。離婚体験記
私は、生活費がどうしても足りない月、自分のクレジットカードから元夫に内緒でキャッシングで1万円づつなど補填し始めました。
マンションのローンの支払いでいっぱいでボーナスも殆どもらえなかったのです。
子どもたちの服や自分の服をフリーマーケットで売るなど、公的な保育所では預けるには月例が満たない子ども達を私立の保育所に泣く泣く預け、心の中で泣きながら派遣で**銀行でカードの勧誘の仕事を週に数日するなどをしていました。



→続きを読む→

pagetop
離婚協議書・公正証書作成に関する
お問い合わせ
公正証書作成の必要性

離婚と民法条文→